minority/ non-normativeであること

久しぶりの日記です。

ブログを始めた当初は、大学院のセミナーの内容を簡単に日本語でまとめるのが主だったのに、だんだん愚痴化しているこの場・・・自分の黒い部分が垣間見れるこの空間に、少しでも興味を持って見に来て下さる方がいらっしゃり恐縮ですが嬉しいです^^;

7月は約一か月日本に帰国しました。一年ぶりの日本、東京。

航空券をとった数か月前は、帰るのが楽しみで仕方なかったのに、

きっと逆カルチャーショックを受けるんだろうなぁとか、今の自分って一般的に日本社会で受け入れられないんだろうなあとか思い、実は帰るのが怖かったのです。

 

東京に帰って、大丈夫かなぁ・・・と不安ではあったものの、驚くくらい一瞬で東京の街に溶け込んでしまいました(のつもりです笑)。

忙しい中、沢山の友人や先生方が私に会ってくれて、帰国中は自分でも驚くほど予定がびっしり詰まっていました。先生方に会うと、「大学院はどう?研究はどう?先生はどう?」と聞かれ、いま自分が取り組んでいることなどを話すと、どの先生にも「変わったね」とか「自信がついてキラキラしてるね」とか言って頂きました。研究の話をしているときや考えている時間って、たぶん自分でも気が付いていなかったんだけど、すごく楽しくて、そういう印象になるのかもしれません。

一方で、久々に友人たちに会うと、彼らは着実に「大人の階段」を登っていて、結婚ラッシュ・出産ラッシュに加え、一戸建てラッシュなんていう言葉まで知りました。たしかに、普通に考えれば27-28歳の年なら、大学を出たとして、社会人6年目、同じ会社にずっと働いている子もいれば、転職してしばらく経っている場合もあるし、同時に結婚して子供が生まれて一戸建てを買うっていう人もいるのよね。そういう社会の標準からずれている自分は、もはや違う次元に生きている気がして、焦るを通り越した境地に至っています・・・。

ちょっと前に、国会議員がホモセクシュアルの人間は「生産性がない」から、彼らに対して割く国からの金銭的援助の予算を減らすべきだ、みたいなことを言っていたけれど、子供を産むことを生産性と言うのならば、私にだってそれがあるのか分からない。結婚して子供を産んでママになって・・・っていうほとんどの女性が抱くであろう夢というかそうあるべき姿?は、当たり前ではないのね。早く結婚して若ママになる憧れは、きっと私にもみんなと同じくらいあったはずなのに、自分のことばかり、やりたいことばかりを優先して、結婚すること自体が可能なのかもわからなくなってきました。

 

本当に、こういうことを考えると、ただただお母さんやお父さんに対して涙が出るほど申し訳ない気持ちになるのは嘘ではないのです。きっと、娘の将来の幸せを願ってこそ、小さいころからいい学校に入れてくれて、沢山お金をかけてきてくれたのに。ああ、こんなことになっていてごめんなさい・・・。でもどうしてもアメリカの院に行きたかったのです。

 

そういう意味での「現実」と、いかに自分が現実離れしているかということ、そして自分がそこで受け入れられるか、ということに対して不安で不安で仕方なかったから、きっと帰国するのが怖かったのでしょう。お世話になった先生の一人に、「なんだか、今自分は東京にいるけれど、ここが現実なのか、アメリカが現実なのか分からなくて不思議な感覚です」と言ったら、「どっちも現実なんだよ。」と言われ、妙にしっくりきたのを思い出しています。

とりあえず、コロラドは二年目なので、すでに仲間がたくさんいる環境でセメスターをリスタートできること、とても心強いです。Master's program 最後の一年、勝負の年。いまある環境への感謝を忘れず、楽しみ・頑張りたいです。