理解し合うこと

こんばんは。ボルダーは日曜日の夜中です。

有難いことに、アメリカの院でもがいていると、たまにいいことがあります。そのひとつは、アメリカにいるかの有名な先生とお話する機会をいただけることです。

そのチャンスが、キター!
ということで、風邪を引き、ハロウィンパーティーにも行けず引き込もっていた私は、その先生の論文を読んだり、自分の研究を進めたりして土日を過ごした訳ですが、色々考えていく中で、わたしの言語学を始めたきっかけと研究のモチベーションは、人を理解することなんだなということを再認識しました。そして、きっと有名な研究者でも、根本はそこなんじゃないかなと。

ただ、言葉で自分の気持ちや頭の中にあることを全部言えるような、器用で頭の良い人というのはきっととても少なくて、具現化できないものが心の中に滞っていることだって結構あるんじゃないかなと思います。

昔、たとえば、相手が男だった場合だけれど、セックスしなければ相手を理解したことにならないと、なんだか強い確信を持っていました。きっとこれは、いろんな意味で当たりだし、いろんな意味で違うんだろうけれど。身体の関係を持って初めて話せることとか、わかることがあるんだって思って、なんだか感動したのが、わたしの初めてのセックスだったわそういえば。笑

好きだとそのひとを分かりたくなって、だから気持ちと身体がほしくなるのか、じゃあ、身体がほしくないと思う相手のことは好きじゃなくて、分からなくてもいいって思ってるのか。これはただの性欲の問題なのか。自分自身でも、そういうことがよくわからなくなるときもあります。

今日は、この前ベビーシャワーでもらった赤ちゃんが、家の前の板と板の間に落ちてしまいました。心がずきずきします。本当に赤ちゃんがかわいそう。
なんか、自分は一生、好きな相手の子供を産めないんじゃないかって、そんなことを暗示している気がして、なんだか怖くなっています。
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人は、みんな何を求めてるのでしょうか。