言語化すること

とても久しぶりの投稿となってしまいましたが、色々なことがあった一か月でした。

会いたい人に会ったり、会わなければならない人にあったり、言いたいことを言ったり、言わなければならないことを言ったり、言われなければならないことを言われたり・・・。喜んで、落胆して、激怒して、驚いて、落ち着いて・・・感情のジェットコースターに乗っている気分になりました。

 

なにはともあれ、いまここで勉強していられることや、大事仲間がいることは、本当に恵まれているなぁと、しみじみ思います。自分のことを信じたくても信じられなくなったり、相手のことを思いやりたくてもそれができなかったり、信じていた人を信じられなくなったり、色々なことがあるけれど、自分の掲げた目標にまっすぐに進んでいくことが大切なのだと、改めて感じているいまです。

 

日々なにかを読んだり誰かと話したりする中ですばらしいと思うことは、自分の感情や思い、あるいは意見という、元々は形のないものを、ある形に当てはめて、それを適切に伝えていくことができる、人の能力です。こんな風に書くと当たり前だけれども、生きていく中で、大人になるにつれて、正直に話してはいけないことが沢山積み重なり、時には嘘をつかなければならないときもあるかもしれないです。でも、それでも相手を傷つけないように、適切に自分の考えや思いを伝えること、それが日常の人間関係の中で最低限に求められることの一つであると思うのです。言葉に出す前に、なにを言語化して、なにを言語化しないのか、あるいは言語化する際にどんな風に形づくればいいのか、そんなことを考えて、それを状況や相手、あるいは自分が何を伝えたいかに応じて異なることばづかいで話せる人が、いわゆるコミュ力の高い人なのでしょう。

 

そのように考えたときに、周りへの配慮なしに零れた純粋なことばの力をいつも感じるのです。それが時に誰かを傷つけることもあるけれど、なにも纏っていないそのままのことばに写された人の感情や思いへの尊さを感じるのです。

 

と、なんだかですます調で統一して書いていたら、なにかの宗教に洗脳されたばかりの人間のような書き方になってしまいました。笑

いまは夜中の2時23分ですので、夜更かしでテンションが少しおかしいのかもしれません。笑

それではそろそろ勉強に戻りますので、また次回もう少し面白い日記を書きたいと思います。笑

 

一か月以上の日記を書いていないブランクは思った以上に大きかったかー!笑