近況

混雑するキャンパスや自己中心的な歩き方をする人たちへのいら立ちが止まらないときや、明らかに見た目がおかしい(unique)人たちを見たときに言葉に出して反応してしまうときや、ミーティングや病院などなにかの説明を受けたあとに細かいことまで質問するようになったとき、自分のおばさん化を改めて実感するのですが、そこへきて気分転換だと思い大学の薬局へ立ち寄ったところ(薬局を気分転換だと思うところがまたおばさん化)、そこに薬をもらいにやってきた大学生が「2000年生まれ、キャサリン・ベストです(どや)」(薬をもらう際は、処方箋をもらっているという本人確認のために病院で待っている人々の前で毎回生年月日を叫ばなければいけないという迷惑なルールのせい)とか言っているのを聞いたときの衝撃は大きく、次に私が自分の生年月日を言う番ではなるべく周りに聞こえないようにモゴモゴ言っている自分にさらにおばさんを感じています。ちなみに私の学生たちはかなり空気が読め、私には絶対に年を聞いてはいけないと思っているらしく、中途半端に25歳ということになっているのです。
ティーチング(日本語初級)では基本的に英語で教え、学生からの英語での細かい質問事項にも英語で対応しなければならないため、今年度になってまさかの英語のスピーキング力が上がっていることを実感しながら、必修の音声学ではアメリカ人たちの中に入ると英語の音が一人だけ全然聞き分けられないということを実感し、まだまだ英語ができないなぁと思っている日々です。

Trust

Trust、信頼って、なんなんでしょうか。

誰かと付き合うとき、向き合うとき、約束するとき、仕事を一緒にするとき、プロジェクトや研究を進めるときに、一番大事になってくるものなのでしょう。

もはや、自分のことが信じられないから、人のことを信じることが難しくなってきている気がしております。簡単に言うと、自己嫌悪に陥って昨日今日で一人で大分泣いてます。彼氏に電話したときにボロボロ泣いて、お母さんに電話したときにも涙がこぼれそうになった。そろそろやばいと思うので精神科にでも行こうと思ってます。

こちらでの生活は、まぁそれなりに結構忙しく、日曜日は一日引きこもり、誰にも会わずに自分のアパートでパソコンの前で一日過ごしました。やばいなぁと思って自分を追い込むと、結局精神的にあとで辛くなるのですよね、息抜きって大事ですね。

今日は、なんだか色々抱えこんでしまい、でも私はいまこれらを全部終わらせたいと思ってがむしゃらに机に一人で向ってたら、終わりが見えない気がしてきてかなりつらくなりました。まぁ、悩みは研究・勉強だけでなくて人間関係とか色々あって、精神的に疲れてるんだと思うのですが、今日泣いた原因は自分の二回目の修論の進みについて。「これがやりたい、こういう風にアプローチしたい、そのためにはこういうデータをとってこの先生とこの先生についてこういう風に進めたい」って全部自分で考えてここの大学院に来て、念願だったこの場所で今、ずっとつきたかった先生の下で研究させてもらえているという、自分にとっては夢のような環境なのに、現実上手くいかず。扱わなければならないデータの多さ、研究方法の知識不足、言語使用のcaosさを上手く料理できていないことによる憤り、時間との闘いから感じる焦り、これで進路が決まるというプレッシャー、さらにはここを去りたくないという願望が一気に襲い掛かり、生理前でメンタルの安定しない上に悩みを複数抱える私にはそれが重すぎて耐え切れず、結果大泣き。一歩一歩進めればいいってわかっているんだけど、どうしても焦ってしまう、周りとも比べてしまうし。耐え切れなくて、友達に意味不明なテキストをしてしまった。

まずは、自分に自信を持って、自分を信じられるようになるのが必要なのかもしれないなぁと、なんとなくの感想を述べてみます。彼氏にも、「あなたは一体何歳なの?」と呆れられるくらい、今の自分はやばいです。精神科(カウンセリング)が無料なので近いうちに行ってきます。あ、アメリカではカウンセリングとか行くのは割とメジャーみたいです。

 

 

新学期

こんばんは。ボルダーは月曜日の夜12時前です。

今日から新しいセメスターが始まりました。今学期から日本語のTAをやらせていただくことになったのですが、今日は早速一回目の授業でした。学生さんたち、まじめそうでした。22人のクラスで、アジア系が多く、あとはアメリカ人もちょろちょろいます。午後のクラスなのですが、上の先生いわく、アジア人は午後のクラスをとる傾向にあり、アメリカ人は午前中のクラスをとる傾向にあるようです。その通りですね。

今日クラスに行って、自分が日本の大学で以前英語のクラスを教えていたことを思いだしました。あのときの学生たちと、この大学の今回のクラスの学生たち...日本人ではないという点では違いますが、同じ年齢層、同じ大学生、という意味では一緒。先生が口を開くと凝視。笑 というのも一緒。笑
これからこのクラスで自分が教えていくの、楽しみよりも不安が多いです。笑 初アメリカの大学でのティーチング、初外国人相手に授業...込み入った話は英語で対応...不安です。。

今日はそのあと、大学院の自分のアドバイザーのひとりのオフィスに向い、研究の話、今後の話を1時間ほどしました。こちらも、というかこちらはいままでで一番くらい、緊張してしまい、身体中のあらゆるところから汗が吹き出しながら笑、一生懸命話しました。笑 偉大な先生の前で研究の話を久々にしたこと、今後の自分の意向を話したこと、これが汗だくになった理由です。笑

はぁ。ということで、長い長い夏休みが終わり、セメスター、そして新しい年度が始まりました。忙しくなるのだけが不安ですが、いままでの一年間で生まれた教授や先輩や仲間との信頼関係があるから、乗りきれる気がしております...

写真は、仲良しの言語学科のPhDのミャンマー人の友達のおうちで頂いた、ミャンマーのスープです。スパイシーでおいしかった~!f:id:beboulder:20180828154930j:plain

孤独な院生

こんばんは。ボルダーは水曜日の夜のもうすぐ10時です。

院生とはどうしてこう孤独なんでしょうか。というのが「現実」に戻ってきた私の、ここ数週間の感想です。笑

研究とか勉強って、やはり机やパソコンに向かって一人で黙々と進めなければならず、やっている瞬間は熱中しててすごく楽しいのだけれど、これがエンドレスなのかと思うと、非常に孤独に感じます。笑

Ph.Dの学生は、2年目の最初の学期にプレリムというテストを受けなければならないのですが、言語学の学生は、120000 wordsでデータ分析を提出しなければならないようです・・・。そのプレリムペーパーというのは、アドバイザーからのアドバイスももらってはいけないし、他の院生からも何も意見をもらえないということで、それこそ孤独すぎる作業・・・。それに受からなければ次の学年に進級できないということで、ストレスもそれなりにありますよね・・・。

自分は、そういったPh.D2年目の仲良しの友達たちに混ざって図書館の部屋で作業し、ひたすら夏休みに集めた会話データを文字化しています・・・。これまた時間がかかるプロセスですが、人間の言語使用っておもしろいなあと、文字化するとおもしろい発見が毎回あります。会話データには、自分も何回か参加しているので、自分自身の日本語の発話も文字化しているのですが、自分の日本語が一番統語的に複雑(ungrammatical?笑)のようにも感じております。笑

他の学科の友達と話していても、まぁ研究している人は一人で黙々と進めなければならないことはみんな一緒で、実験しないといけないような人たちは実験自体に時間がかかるから、それはそれで大変そうです・・・。

まぁ、これは日本でもアメリカでも、どこでも一緒のことですが、改めて、院生って孤独だなあと感じている日々です。笑

 

ボルダーは今日も快晴でした。もうすぐ夏休みが終わってしまうのがかなしいけれど、新しい学期が始まって先生たちともっと話せる時間があることはかなり楽しみです。今学期は多忙になりそうなので、時間管理がキー・・・。残り1週間でどれだけ詰められるかが大事になってくるので、孤独に負けず笑、がんばります。

minority/ non-normativeであること

久しぶりの日記です。

ブログを始めた当初は、大学院のセミナーの内容を簡単に日本語でまとめるのが主だったのに、だんだん愚痴化しているこの場・・・自分の黒い部分が垣間見れるこの空間に、少しでも興味を持って見に来て下さる方がいらっしゃり恐縮ですが嬉しいです^^;

7月は約一か月日本に帰国しました。一年ぶりの日本、東京。

航空券をとった数か月前は、帰るのが楽しみで仕方なかったのに、

きっと逆カルチャーショックを受けるんだろうなぁとか、今の自分って一般的に日本社会で受け入れられないんだろうなあとか思い、実は帰るのが怖かったのです。

 

東京に帰って、大丈夫かなぁ・・・と不安ではあったものの、驚くくらい一瞬で東京の街に溶け込んでしまいました(のつもりです笑)。

忙しい中、沢山の友人や先生方が私に会ってくれて、帰国中は自分でも驚くほど予定がびっしり詰まっていました。先生方に会うと、「大学院はどう?研究はどう?先生はどう?」と聞かれ、いま自分が取り組んでいることなどを話すと、どの先生にも「変わったね」とか「自信がついてキラキラしてるね」とか言って頂きました。研究の話をしているときや考えている時間って、たぶん自分でも気が付いていなかったんだけど、すごく楽しくて、そういう印象になるのかもしれません。

一方で、久々に友人たちに会うと、彼らは着実に「大人の階段」を登っていて、結婚ラッシュ・出産ラッシュに加え、一戸建てラッシュなんていう言葉まで知りました。たしかに、普通に考えれば27-28歳の年なら、大学を出たとして、社会人6年目、同じ会社にずっと働いている子もいれば、転職してしばらく経っている場合もあるし、同時に結婚して子供が生まれて一戸建てを買うっていう人もいるのよね。そういう社会の標準からずれている自分は、もはや違う次元に生きている気がして、焦るを通り越した境地に至っています・・・。

ちょっと前に、国会議員がホモセクシュアルの人間は「生産性がない」から、彼らに対して割く国からの金銭的援助の予算を減らすべきだ、みたいなことを言っていたけれど、子供を産むことを生産性と言うのならば、私にだってそれがあるのか分からない。結婚して子供を産んでママになって・・・っていうほとんどの女性が抱くであろう夢というかそうあるべき姿?は、当たり前ではないのね。早く結婚して若ママになる憧れは、きっと私にもみんなと同じくらいあったはずなのに、自分のことばかり、やりたいことばかりを優先して、結婚すること自体が可能なのかもわからなくなってきました。

 

本当に、こういうことを考えると、ただただお母さんやお父さんに対して涙が出るほど申し訳ない気持ちになるのは嘘ではないのです。きっと、娘の将来の幸せを願ってこそ、小さいころからいい学校に入れてくれて、沢山お金をかけてきてくれたのに。ああ、こんなことになっていてごめんなさい・・・。でもどうしてもアメリカの院に行きたかったのです。

 

そういう意味での「現実」と、いかに自分が現実離れしているかということ、そして自分がそこで受け入れられるか、ということに対して不安で不安で仕方なかったから、きっと帰国するのが怖かったのでしょう。お世話になった先生の一人に、「なんだか、今自分は東京にいるけれど、ここが現実なのか、アメリカが現実なのか分からなくて不思議な感覚です」と言ったら、「どっちも現実なんだよ。」と言われ、妙にしっくりきたのを思い出しています。

とりあえず、コロラドは二年目なので、すでに仲間がたくさんいる環境でセメスターをリスタートできること、とても心強いです。Master's program 最後の一年、勝負の年。いまある環境への感謝を忘れず、楽しみ・頑張りたいです。

 

 

黒さ

怒りの感情は、きっと少しでも好きだと思った相手にしか出ない。それが恋愛感情であってもなくても。相手に対する一定の期待値が無意識のうちに確率されているから、それを下回ることがあると残念に、あるいは許せなくなるのかもしれない。好きであればあるほど、期待値が高ければ高いほど、残念ではなく怒りになる気がする。

純粋な興味、好奇心、感情、啓発等に勝るものなんてないと思っているけれど、人間はふとしたときに詰まらない欲に簡単に負けてしまう弱いものだ。きっと、芯がしっかりしていなければいないほど、信念からぶれる可能性が高くなる。自分も例外では決してなく、そういう自分に対面する度に、ものすごい自己嫌悪に陥る。

迷うことが多すぎて気持ち悪いし、こういう時間を長く過ごせば過ごすほど自信がなくなっていく。

Fulbright Enrichment Seminar in Nashville, TN

先日参加した、フルブライトのエンリッチメントセミナーは、音楽の街ナッシュビルで行われた。セミナー会場から5分ほど歩くとブロードウェイに到着し、そこに並ぶ数えきれないバーの一軒一軒からは、昼でも夜でも、アーティストたちが奏でるカントリーミュージックと溢れんばかりの観客の歓声が重なって、まさに「ライブ・ミュージック」が聞こえてくる。セミナーでお話ししていた有名な音楽家の一人は、作曲活動をする際に、他のどの場所よりもこの場所からインスピレーションをもらえ、自然に最も早く曲を作ることができると言っていた。

 

セミナーで印象に残ったことばは、英語で、「音楽を奏でる」と言うときに使う動詞は「play」だ、ということと、音楽は、言葉や文化が違っていても人と人とを繋げることができる、ということ。

 

今回のセミナーには約70か国から約130人が参加しました。セミナーに参加する以外にも、みんなで飲みに行ったり踊りに行ったり、ナッシュビルという街だからこそのお楽しみが沢山あった。7月に参加したプレアカデミックでも全く同じことを感じたが、たとえばバーやクラブで、その瞬間瞬間に、皆同じような表情で笑っていたとしても、それぞれには国レベル・歴史レベルで全く違う背景があって、「当たり前」はみんな違う。

 

「この人たちにこの考え方は分かってもらえない」とか、「この話を外国語で説明するのは無理だ」と思って、自分の考えを話すことを諦めたことは今まで何回もあったけれど、今回のセミナーでは、こんなに色々な面で無知な私にも、自分の国の情勢や、自分の過去、自分の研究への情熱、そしてこれから自分がどう社会に貢献して行きたいか、といったことを、お酒の席でみんなが語ってくれた。たとえば、スーダン出身のMDの人が、南スーダンでの紛争で難民の救済に協力したこと、コンゴ出身のconflict resolutionを学んでいる人は、前日に政府に反抗した友人4人が殺され、また自身も4度刑務所に入ったことがあり、国を本気で変えたいと思っている、などなど。

 

大学院レベルで「研究」する人はみな、それなりのモチベーションや情熱があるのは当たり前だけれども、じゃあ「何のために?」というところが「好きだから」というだけでは、今この瞬間に勉強に時間を「割かせてもらっている」ことに対しては不十分な気がとってもしてきて、改めて自分の方向性を考えさせられるきっかけになりました。(二回目の修士をやっているくせに何を言うと思われそうですが。)

 

音楽・踊り・お酒という、おそらくどの文化にもあるこの3つは、やっぱり大事なんだなぁと思った3日間でした。