何を喜び・幸せとするか

過去に何か自分が習ったこと、知ったこと、感じたことなどが、実は全然違うと自分では思っていた他の世界でも共通の認識があったときに、感動をおぼえてきた気がした。

例えば、昔習った理論が海外でも共通認識だったこと。

日本で習った英語が海外で通じた瞬間。

日本で習ったフランス語が誰かに通じた瞬間。

小さい頃から習ってきたバレエが、違う環境でもできた瞬間。バレエという芸術の良さを、異世界と感じていた場所に生きる人たちとわかった瞬間。

 

こういう基礎となる喜びや幸せから派生した喜びは、

「異世界だと思っていた場所に住む人たちと分かり合えること」

それは言葉を通じてでも、バレエなどの言葉以外の媒体を通じてでも。

 

それが喜びや幸せを感じる瞬間。

逆に言えば、それがない時には喜びや幸せを感じにくい?

例えば、同じような環境の人たちとの交流で当たり前なことを当たり前にシェアすること??

 

自分を理解すること、他人を理解すること、他人に理解してもらうこと

これは人類共通の根本にある欲求であり幸せの根源?

雨の日のカフェ

知ったかぶりをする人間が嫌いだ。他人がどんな思いで、どんな道筋を通って、どんな考えのもとで、どんな選択のもとで今に至るのか知らないで、土足で人の心に踏み込んでくるような人。自分をかわいそうな人間と称しているわけではないし、あからさまに土足で踏み込んでくるような人はさすがに少ないけれど、人間やことばを研究している私にとっては、その人がどんな気持ちで人と接しているのか、特に相手が自分だった場合には、そこに敏感なのかもしれない。同じような道を歩んできた人や、同じような経験をしたことがある人には、あることがどんなに大変なことなのか、辛いのか、楽しいのか、幸せなのか・・・ということが分かるのだと思うから、同調することやそれを尊重して話すことは容易なのだろう。ただ、人は皆違う経験をしているからこそ、相手の心境を考えることというのは、心地よい人間関係を築く上では必要なのだろう。心地よい人間関係を築く必要なんてどこにもないけれど、もしそういう関係性を築きたい場合にはそうなのだろう。

 

同調するのが上手な人は、きっと同じような経験をしている人か、場数を踏んでいるのか。それは、結果的には年齢に比例するのかもしれない。

 

ボルダーは今日は雨です。

言語化すること

とても久しぶりの投稿となってしまいましたが、色々なことがあった一か月でした。

会いたい人に会ったり、会わなければならない人にあったり、言いたいことを言ったり、言わなければならないことを言ったり、言われなければならないことを言われたり・・・。喜んで、落胆して、激怒して、驚いて、落ち着いて・・・感情のジェットコースターに乗っている気分になりました。

 

なにはともあれ、いまここで勉強していられることや、大事仲間がいることは、本当に恵まれているなぁと、しみじみ思います。自分のことを信じたくても信じられなくなったり、相手のことを思いやりたくてもそれができなかったり、信じていた人を信じられなくなったり、色々なことがあるけれど、自分の掲げた目標にまっすぐに進んでいくことが大切なのだと、改めて感じているいまです。

 

日々なにかを読んだり誰かと話したりする中ですばらしいと思うことは、自分の感情や思い、あるいは意見という、元々は形のないものを、ある形に当てはめて、それを適切に伝えていくことができる、人の能力です。こんな風に書くと当たり前だけれども、生きていく中で、大人になるにつれて、正直に話してはいけないことが沢山積み重なり、時には嘘をつかなければならないときもあるかもしれないです。でも、それでも相手を傷つけないように、適切に自分の考えや思いを伝えること、それが日常の人間関係の中で最低限に求められることの一つであると思うのです。言葉に出す前に、なにを言語化して、なにを言語化しないのか、あるいは言語化する際にどんな風に形づくればいいのか、そんなことを考えて、それを状況や相手、あるいは自分が何を伝えたいかに応じて異なることばづかいで話せる人が、いわゆるコミュ力の高い人なのでしょう。

 

そのように考えたときに、周りへの配慮なしに零れた純粋なことばの力をいつも感じるのです。それが時に誰かを傷つけることもあるけれど、なにも纏っていないそのままのことばに写された人の感情や思いへの尊さを感じるのです。

 

と、なんだかですます調で統一して書いていたら、なにかの宗教に洗脳されたばかりの人間のような書き方になってしまいました。笑

いまは夜中の2時23分ですので、夜更かしでテンションが少しおかしいのかもしれません。笑

それではそろそろ勉強に戻りますので、また次回もう少し面白い日記を書きたいと思います。笑

 

一か月以上の日記を書いていないブランクは思った以上に大きかったかー!笑

X'mas Eve

メリークリスマスイブ!

前回ブログを書いてから、もう2か月くらい経ってしまいました。怒涛の2か月でした・・・。色々な面で多忙でした。授業・仕事・研究・勉強・人間関係・・・大分泣きました。

 

もう2018年も終わりそうだけれど、2019年は、ありのままの自分を受け入れてくれる人たちと一緒にいたいです。限られた人生の時間の中で、分かり合えない人と一緒にいる時間ってもったいないですね。

 

初めての日本語のティーチングも終わりほっとしていますが、今自分の授業の動画を見て、反省をしながら、楽しかったなぁと振り返っています。ただ、学生さんからくる質問に毎回答えられるわけではないし、指示が上手く伝わっていないなど、問題点も色々見えてきています。採点に関しては、特に上級になってくると、作文の採点で、てにをはを始めとした細かいミスを直していかなければならないのでとても時間がかかって大変でした。そのせいにしてはいけないけれど、自分の授業(特に音声学)に割く時間が急激に減少し(結果成績が悪かった)たことはかなり反省です。

 

今は冬休みといっても、論文をなんとかしなければならないので、勉強・研究に時間を費やしていかねばなりません。本当に卒業できるのか、不安になるときもよくあるけれど、息抜きをしつつ前進していかねばと思っています。

 

クリスマスイブの今日は、友達と映画に行ってきました。Aquamanという映画で、まぁあり得ないストーリーだけれども笑、画が綺麗でとても楽しめました。そのあと友達とマックでご飯を食べているときに、割と深刻な、人生の話をしました。卒業後どうするの?という話だったのですが、その友達は結婚していて子どももいるんだけれど(アメリカ国外)、家族を愛していないし、元々やっていた仕事に戻るモチベーションもないということで。なんだか話を聞いていたら、彼が壊れそうだったので、とても心配になりました。愛していない家族と一緒にいて、全く興味のない仕事をするのなら、自分ができる最大限の援助を家族にすることを約束して離婚して、少しでも興味が持てる仕事に就いた方がいいのでは?と思わず意見を言ったところ、彼との別れ際に、「離婚しようかな」と言われました。彼は、自分の抱えているこの問題についてカウンセラー以外の他人に話したのは初めてだったようですが、カウンセラーよりも今日私に話せたことが心の救いになった、と言われたので、もしそれが少しでも本当に救いになったのならよかったと思いつつ、たった一つの発言でも、人の人生の決断に影響を与えてしまう可能性があることに、責任感をおぼえました。

 

そういえば先日は、ミャンマー人の友達とその(次期)彼氏がうちにきて、夜中の3時まで飲みながら語り明かしていたのですが、そこでもかなり深い話をしました。特に、セクハラ・強姦といったことについて話していたら、ミャンマー人の友達は、自分が6歳のときに、おじさんに犯されたことがあったということを暴露し、どうしてこういうことが起きるのか、人はどうしなければならないのか、自分たちはどうすべきなのか、ということを語り合いました。そのときも、彼女はこの話をしたのは今日が初めてで、私と彼女の次期彼氏しか知っている人はいない、ということでした。すごく強くて、いつも正義感溢れる彼女には、これまでいつも助けられてきて、どうしてこんなに強くいられるのかと、そのたびに思っていたけれど、実は彼女のそういった辛すぎる過去が、今の彼女を作り上げたということが漸くわかった夜だったのでした。

 

そして、人はみんな、それぞれ問題を抱えていて、簡単にそれを他人に共有したくはないけれど、それを持ち続けていることは時に非常に危険で、それをいつか開示する必要があって、そのために開示できる人を回りに持つことが重要なんだなと思いました。人間は弱くて、時として過ちを犯してしまい、それがいつも許されるわけではないんだなと思いました。なぜなら、その一つの過ちが、罪のない人を気づ付け、負の連鎖を招きかねないから。

 

 

 

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明日はクリスマス。日本語TAの仲間のアメリカ人の友達のデンバーのおうちでパーティーがあり、呼んでもらったので楽しんできます。クリスマスの日に孤独になりそうだったインターナショナルの学生を心配してくれる周りの沢山の友達には、本当に感謝。

 

理解し合うこと

こんばんは。ボルダーは日曜日の夜中です。

有難いことに、アメリカの院でもがいていると、たまにいいことがあります。そのひとつは、アメリカにいるかの有名な先生とお話する機会をいただけることです。

そのチャンスが、キター!
ということで、風邪を引き、ハロウィンパーティーにも行けず引き込もっていた私は、その先生の論文を読んだり、自分の研究を進めたりして土日を過ごした訳ですが、色々考えていく中で、わたしの言語学を始めたきっかけと研究のモチベーションは、人を理解することなんだなということを再認識しました。そして、きっと有名な研究者でも、根本はそこなんじゃないかなと。

ただ、言葉で自分の気持ちや頭の中にあることを全部言えるような、器用で頭の良い人というのはきっととても少なくて、具現化できないものが心の中に滞っていることだって結構あるんじゃないかなと思います。

昔、たとえば、相手が男だった場合だけれど、セックスしなければ相手を理解したことにならないと、なんだか強い確信を持っていました。きっとこれは、いろんな意味で当たりだし、いろんな意味で違うんだろうけれど。身体の関係を持って初めて話せることとか、わかることがあるんだって思って、なんだか感動したのが、わたしの初めてのセックスだったわそういえば。笑

好きだとそのひとを分かりたくなって、だから気持ちと身体がほしくなるのか、じゃあ、身体がほしくないと思う相手のことは好きじゃなくて、分からなくてもいいって思ってるのか。これはただの性欲の問題なのか。自分自身でも、そういうことがよくわからなくなるときもあります。

今日は、この前ベビーシャワーでもらった赤ちゃんが、家の前の板と板の間に落ちてしまいました。心がずきずきします。本当に赤ちゃんがかわいそう。
なんか、自分は一生、好きな相手の子供を産めないんじゃないかって、そんなことを暗示している気がして、なんだか怖くなっています。
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人は、みんな何を求めてるのでしょうか。

Baby shower

こんばんは。ボルダーは土曜日の夜中です。
今日は、大学院の先輩の奥さんのBaby Showerに行ってきました!
Baby Showerとは、赤ちゃんが産まれる前に、妊婦さんを祝うイベントです。親しい友人たちが集い、飲食をしたり、ゲームをしたりしました。
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例えば、こんな風に氷の中に赤ちゃんのフィギュアを入れて、それを各自の飲み物の中に入れ、一番早く溶けた(=赤ちゃんが産まれた)ら勝ち! みたいなゲームです。こんな感じの、赤ちゃんが氷の中に入ってました。笑f:id:beboulder:20181021151500j:plain

この大学院の先輩、去年は私のmentorになってくれて、それから親しくなりました。アメリカ人だけど中国語の音声学が専門という、尊敬すべきお方です。音声学の授業のTAをやっているので、今年その授業をとっている私は、またそこでお世話になっています。本当に優しい人で、音声学で分からないことがあってオフィスを訪ねるときはいつも丁寧に、わかるまで教えてくれます。1時間くらい一対一で教えてくれることもあって、本当に優しいです。あまりにも優しいので、なんだか甘えたい気持ちになるからなのか、彼の顔を見ると、いつも涙が溢れそうになります。笑

ということで、私のいる言語学科は、本当にいい人が多い!
そういえば、金曜日は、死にそうになりながら課題と採点を終え、死にそうになりながら言語学の友達の飲み会に久々に参加しました。彼らは全員英語のネイティブなのですが、いいなぁといつも思うのは、英語が一番できない私(話すのに時間がかかる、使える語彙や知っている表現が限られている、など)をいやがらず、ちゃんと輪に入れてくれるところです。そして、文化の違いなどわかろうとしてくれるところ。これは、言語学科ならではのところだと思ってます。
ただ、毎回びっくりするのは、議論が大好きすぎるところ。笑 まぁ、言語学じゃないひとも当てはまると思うし、アメリカ人は特にそうだと思うけど、とにかく意見の主張が激しくて曲げない、相手を説得できるまで話す...。金曜日の夜は、宅飲み中にみんなでアメリカの有名なコメディドラマを見ていたのですが、そこで出てくるジョークやプロットが影響されているその社会文化的背景について、議論がエンドレス。笑 議論が始まったのがそもそも夜中の12時ごろで、終わったのが1時半くらい。笑
寝不足な私としては、どっちでもいいから早く帰ろうよ、、、という感じだったのですが、とても帰れる雰囲気ではなく。笑

さすがアメリカ人、これぞアメリカ人。笑
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最後に音声学の課題でやってることを載せて、今日はアカデミックな感じに終わりたいと思います。笑

おやすみなさい。

泣くこと

こんばんは。ボルダーは火曜日の深夜12時過ぎです。

そういえば日本人の友達が、

「お酒飲んでなきゃやってけねーよ!」って前によく言ってたけど、

いまの私は

「泣いてなきゃやってけねーよ!」って感じです。笑

といいつつ、いま(平日の夜中にひとりで)ワイン飲み始めました。笑

 

この泣く習慣、私だけでなく、意外にまわりの院生(アメリカ人でも)にもいるようです。まぁ、みんながみんな「習慣」ではけど、授業が分からない、課題が難しい、リーディングが終わらない・・・といったことが原因になるようです。

 

私は・・・毎回なんで泣いてるのか、違う気がします。笑

パソコンに向かってるときに、採点中に、

ボロッと突然涙が出てきて、それが止まらなくなるときもあります。

鼻血か!

って、突っ込みたくなるテンションに、ワインがしてくれてます。ありがとうカベルネソービニオン。

 

なぜ泣いているか。

最近の悩み?の根本は、

なんで自分が好きで分かり合いたいって思ってる人たちと分かり合えないのか

なんで私は言語学をやってて、しかも相互行為の研究やってるのに、うまく人に気持ちとか物事を伝えられないのか

っていうことです。

 

アドラーの心理学の話によれば、変わる勇気を持つ必要がありそうですね。

 

と、このような心境の中、自分の日本語クラスで質問されたことに対して答えられないということがありました。助詞の「か」と「ね」の違いについて。「そうですか」と「そうですね」について。

上手く答えられなくて、あー自分はなにやってんだって思いました。

 

最近は、来年度の奨学金をとるために、今の自分の研究が、言語学が、日本社会にどう貢献できるのかってことを試行錯誤して書いてたので、

そんなタイミングだったから、

「え、こんなこと書いたくせに、現実全然できてないじゃん」

って思って、なんだか自分がいやになってしまったのでした。

 

こんなことを考えているのは、他にも、最近私の仲良しの友達のミャンマー人と話したからかもしれないです。彼女はかなり「オープン」な性格なので、思ったことは(いうべきことだけですが)かなり言う性格で、だからこそ自分の意見を論理だてて言うのがとっても上手。そんな彼女を見ていたら、あー、こういう人が言語学やってるって胸張って言えるんだろうなって思いました。

 

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自分が撮っている授業は、といいますと、今年度はPhonetics, Diachronics, Japanese Pedagogyという必修3つと修論をとっています。

Phoneticsは、本日中間試験修了。

IPA (International Phonetic Alphabet)という、世界共通の音声記号を全部覚えて(記号、名前、口の中のどこでどうやって発音されるか)、それがどんな状況にはどう変わるかってことも覚えて、なおかつ聞き取れないといけない試験だったのですが、

なんと、先生自ら30個くらいの単語を発音。笑

それを学生たちが書き取る、という、客観的に見たらなんとも面白い光景に笑ってしまいました。笑

この30個の単語には、英語以外にも、英語の音を使って作った単語や、世界の色々な言語の単語が含まれていました。で、例えば先生が唇をかんでるか否かとか見たいから、学生は先生の口を凝視・・・また、非母語話者にとって発音するのが難しい音は、先生も苦労していて、何度か言い直したり・・・笑 さすがに先生的にも絶対発音できないような言語の単語は、パソコンで音声を流していましたが、なんともこのアナログな試験、面白かったです。笑

しかしこの知識、一体いつ役に立つのだろうか・・・笑

アフリカの言語の5種類のクリックという音の出し方とか、youtubeを見て発音する練習したけど・・・笑 いつ使うんだろう。笑

そういえば先週末は、この音声学の中間試験の勉強のため、仲良しの友人と大学で夜遅くまでパソコンでアフリカとかインドの言葉を聞きながら、発音する練習してて、周りで他の教科の勉強している学生たちに、変な目で見られてました笑

ちなみに、その日夜11時ごろから大雪となり笑、自転車で来てしまった私達は、大雪を顔面に浴びながら、目が開けられな状態で自転車で帰りました。笑 武勇伝。

 

Diachronics (歴史言語学)の授業は、先生が授業をあまりしてくれなくて、学生がプレゼンしないといけません・・・。私はたとえば、もう一人の学生と一緒に、教科書100ページくらいを担当して、それを2時間以上プレゼンしました。先生の仕事・・・?笑

先生は、サウジアラビア?とヨーロッパのハーフで、英語とアラビア語が母語らしく、そして最近アラビア語の言語変化についてで博論を書いたようなので、授業で扱う言語はほぼアラビア語やsemiticの言語・・・。

個人的に、アラビア語は去年の形態論と統語論の授業で分析したから馴染みはあったけれど、発音できないし単語を覚えていないから、やっぱり覚えたり理解したりするのには時間がかかります。

 

Japanese pedagogy(日本語教育)は、1単位の楽ちん授業よ~と先生に言われていたのにも関わらず、意外にも合計レポート3本を出し、プレゼンを2回しなければならないのです。リーディングは週20ページくらいなのでそんなですが・・。でも、ここでちゃんと勉強しておかないと、自分のティーチングパフォーマンスも向上しないと思うので、ちゃんと学びたいと思ってるし、有り難く受けております。

 

ということで、そろそろワインが終わりそうなので、寝ようかな。笑

ちなみに今日、採点だけに3時間くらいかかりました。おつ・・・・。

今週はもう、泣かなくて済みますように。おやすみなさい。