Identity crisis? SALSA

SALSAという言語人類学系の学会に行ってきた。

言語とIdentityに関するたくさんの発表を聞いて、自分も発表して、自分がidentity crisisを起こした、気がしている。。

日本の院の博士課程までやってきたことと、いまアメリカの院で新しく学んでいることを織り交ぜて分析•考察したつもりだったが、両者を統合することの問題点を再認識したし、いま自分がやっていることは言語人類学の分野からの興味と少し違うことも実感した。また、日本語を日本で学んだ日本の理論で説明して理解してもらうことに対する限界も感じた学会だった。もちろん自分の発表の
仕方や研究事態にも問題はあるけれど、根本的なところで違う方向性に行っている気がしているのです。

こちらの大学院の授業でも、ある言語現象に対する教授の説明の仕方に疑問を覚えることもあったけれど、自分がminorityなのかもしれないと実感。日本にいたときはそんな風に思わなかったけれど、発表の仕方、提示方法もそうだし、こちらの方法に従わなければ理解してもらいづらいのかもしれないなーと痛感。
数年前といまと違うことは、こういうことがあって漠然とした不安を感じたとき泣かなくなったこと。というか、こんなことで泣けるほどもう若くないのであります。

一番いきたかった大学院のプログラム主催の学会で、競争率の高い選考は通ったものの、
発表内容を間接的に拒否された気分になっているけれど、こんなことで泣いている場合でなく。

Liftの運転手のおじさんとか乗り会わせたUT Austinのお兄さんとかに自己紹介すると「おまえやばいな」的な反応をされ、自分でも自分がなにしているのか分からなくなる。なんのためにここにいて、自分は本当はなにをしたいのか。それが少しでもわかる機会になると思っていたけれど、むしろ分からなくなってしまった。